Systematically Unsystematic

考えたことの置き場所

解くべき問題を定義する

今の会社に移ってから自分のスキルセットや考え方にアップデートが必要だと感じはじめた。

1つには所属する会社が大きくなった。これまでは小回りの利く組織で立ち上げ屋のような役回りでいたのが、立ち上げたものをスケールさせるのが課題となった。小回りが利きづらい組織をどう動かすか、誰かを説得するという作業が重要となることから、戦略や目標設定の重要性について認識を改める必要があった。

自分自身を振り返ってみると、これまで一貫して解くべき問題の正体を見極めることを重視してきた。ざっくり分けるとよく定義された問題を厳密に解くか、それとも粗く定義された問題をスピーディーに解くかという切り口になる。

一方で、解くべき課題の発見や定義からはじめた経験はそれなりにあると思っていたが、じゃあそれは100のうち幾つか。素直に振り返ってみればそんなに多くない。

 解くべき問題と、その価値のない問題の区別はどのようにつけるのか。精度をどのように上げるのか。もちろん本を読んで向上するものでもないので、実戦のなかで習熟していくしかない。少しでもスピードを上げるには普段から意識しておくしかない。

ただ、意識しておけば良いのなら「意識高い系」という言葉もない。

仕方がないので他の人のことを観察することにした。自分自身より他人の方がよく見えるからだ。価値のある仕事をしている人、曖昧なアウトプットしか出てこない人、何かやっている風だが定型的なもの以外は出てこない人、よく考えているが十分に表現できていない人。

いずれの場合も、自分にもそれをもたらす要素は持っている。問題はそれに自覚的かどうかで、自分の状況をなるべく正確に把握して行動することが肝心ということになる。